先週、ある方の料理教室に行きました。

その中でも感じたのが、玄米菜食や食の安全性を推進しているんですが、それが絶対ではないという思いが素晴らしいなと感じました。

アトピーの方やガン患者を、食を変えることで改善されてきたのに、それが必ずしも絶対ではないという姿勢です。おそらく何千人、何万人単位の人を看ているのだと思います。

しかしそんなことよりも、もっと大きな視点で、食べることと生きることの大切さを説いていました。

・目の前の食材がどのような経緯でここにあるのか。
・どんなシチュエーションで食事を食べるのか。
・食材や作り手に感謝して食べることができているのか。
・食べるということは、命を頂いているということ。
・家族やパートナーを大切にしていますか?

栄養とか、産地とか、形とか、食材の陰性・陽性というのは二の次で、まずはそこをちゃんと考えようね。という事をハッキリと断言していました。

薄暗い牛糞臭いジメジメした地下室で、自分の大嫌な人と一緒にムカムカしながら食べる玄米菜食と、景観がよい温かな日差しの下で、楽しく大好きな家族で食べるマクドナルドの方が、よっぽど身体に良いと話されていました。

これを食べなさい、これは身体に悪いからだめ。
そんなことばかりを繰り返し、食べること、そして生きることの本質から離れていき、
食べ物そのものよりも、栄養や知識の置き換えとして食べ物を見てしまっているんだろうなと、

食べることは1つの命を頂くということ。それを大切にしようね。

また、1食を適当に済ませるということは、1食分の命を適当に生きているようなものである、とも話していました。1食1食の積み重ねが、自分の身体や自分の人生を作っている。だから食べることは大切なんだよ。という当たり前過ぎて、見えなくなっていること。

何を食べるかより、誰と食べるか。どんな雰囲気(想い)で食べるか。それが大切。

have to~ しなければならない。これが一番・相手を否定する
want to 笑い声・ありがとう・ごちそうさま

美味しいお米で笑顔になる