日本人とお米
お米の歴史
稲はもともと熱帯地方の植物でした。起源には多くの説があって、インドのアッサム地方 や今の日本の稲作につながる稲の起源地は、ジャポニカ種とイディカ種の中間地点=中国の 雲南省付近にあったとも考えられていました。 しかし、最近中国の遺跡の発掘調査によって、現代日本につながる稲作の起源地は、長江中流域と、 起源地の推定場所についても考え方が見直されてきています。
日本人とお米
日本人にとって、なくてはならないお米。本来、日本人の食生活はお米を中心としたメニュ―で 成り立っています。稲作の始まりは、最近では縄文時代中期(約4500年前)から九州地方に渡来された といわれわが国の気候・風土に適した作物として次第に栽培地域を広げ、弥生時代中期には北海道を 除く日本列島各地で栽培されるようになりました。
そのような稲作を中心とした食生活が2千年の間、私たちの体の基を作り、健康を維持してきました。 また、稲作文化の母体でもあり今も生活の中に息づいています。例えば、人々が田んぼに集い、豊作を 祈ることから生まれた様うな集いは、やがて祭りとなり、またあるいは相撲となって今に受け継がれています。 また稲作を守ってくれる神様を迎えるためであっった正月や、もともとは田んぼの鍬入れの日であった鏡開きなど。 今も大切に親しまれている伝統的な行事や祭りの多くは、実は稲作という仕事と密接にかかわりながら、日本の文 化として大切な存在です。
ご飯の食べ方の移り変わり
弥生時代米はうすときねでもみがらをとり、玄米にして食べていました。 土器に入れて炊いて食べたり、こしきで蒸して食べたと思われます。
飛鳥・奈良時代 このころは、米は蒸して食べるのが普通になりました。強飯(こわいい)米を蒸したもの固がゆ 米を炊いたもの。現在のご飯のこと。姫飯(ひめいい)ともいう。 ほし飯(いい) 蒸した米を乾燥したもので、旅や戦のとき持っていき、水や湯をかけてやわらかくして食べていた。 箸が中国から伝わったのもこのころです。
平安時代 貴族階級は蒸した白米を食べ、庶民は玄米食でした。
室町時代 鎌倉時代までは、1日二食でしたが、室町時代から1日三食になりました。 姫飯(ひめいい)炊いたご飯がひろまったのもこの頃です。
江戸時代 武士や町人は白米を食べ、多くの農民は米は年貢で取られ、麦・アワ・ヒエ などの雑穀を主食としていました。